子供に教えられた信心

令和元年11月3日

ご存じの方もおられますが、私はシングルマザーです。昨年離婚しました。息子が2歳になったばかりで、苦渋の決断でした。現在は実の母と3人で暮らしています。私の母は厳格な人で「住む場所は提供するけど、子育てには一切手を貸さない。1人でこの子を育てる覚悟で育てなさい!」と言われていたので、当時の私は1人でこの子を育てる、1人で母親と父親をしよう、と躍起になっていました。息子が高熱を出した時も一時預かりの託児所に預け、身をひく思いで仕事をし、家に帰って家事をこなして看病をするという事もよくありました。それでもこの子には私しかいない。この子には不自由をさせまい、と、自分のできる事は何でもしようと言い聞かせて自分を奮い立たせていました。今思うと日々余裕が無く、精神的にも精一杯の生活でした。


そんな中、いとこのお兄さんが亡くなったと一報がありました。ガンを患い、何の前触れもなく、手術を終えた直後の事でした。33歳という若さでした。私は息子を託児所に預け葬式に参列しました。私の親戚一同は創価学会員でしたが、いとこのおじさんの意向もあり、無宗教葬で執り行われました。そのことがきっかけで、親戚同士でお墓をめぐって言い争いになり、四十九日が過ぎてもいとこのお兄さんはお墓に入れずじまいだと聞きました。


時は流れ、それから間もなく、息子がある日突然、誰もいない壁におじぎをしたり、バイバイをしたり、南無妙法蓮華経と言ってみたり、急に泣き叫び抱っこを迫る事もありました。息子が言葉を話し始めてつたない頃、「お兄ちゃんがプンプン」と言うのです。私が「何?誰?」と言ってもその言葉を繰り返すだけでした。その日から毎晩のように「来たよ!」と言っては「プンプンだよ!」と言うので、さすがに不安になり、実の母にも相談しました。すると「バカな事言いなさんな。あんたには信心が足りない!母親なんだからしっかりしなさい!子供の言う事を真に受けてどうするの?悩むならお題目をしっかりあげてからにしなさい!」と、そう言われるだけでした。


私にはいとこのお兄さんの事が頭にあり、息子が知りもしない、いとこのお兄さんが写った幼い頃のアルバムをペラペラとめくると「これ!」と、「この人?」と聞くとうなずきました。私は心で「やっぱりか。この子には見えているんだな。」と思いました。息子に「分かったよ。オバケが来たら南無妙法蓮華経って言ってあげなさい。」と伝え、私は出来ることを行動に移してみることにしました。親族にお墓をどうするのか話し合いをしたり、私は生まれて間もない頃から創価学会員でしたので、できる限り仏壇に手を合わせお題目を上げたり、息子を連れて先祖のお墓を掃除しに回ってみたり、出来ることは何でもしました。しかし、結果は伴わずじまいでした。その頃から少しずつ、何か創価学会に対して違和感と、初めて釈然としない感情を抱いていたと思います。


それをきっかけに疑問を感じて、色々とネットで検索をするようになりました。ネットで検索する時に気をつけていた事は、私が創価学会員として、今現実におこっている事、目の当たりにしている事を見るのではなく、第三者の目線で見るという事でした。結果、創価学会のお題目では供養できない。できていないという事でした。今まで信じていたものは何だったのだろう。母に連れられて幼少期から仏壇に拝むというのが習慣だった私は、急に宗教そのものが無くなったかの様な衝撃をうけました。もう何も信じられない。お題目を上げても実際にオバケが見えているこの子が証拠だと。その時思い、どう前に進むか、どこに悩みを打ち明けていいのかさえ分からなくなった時、興福寺のサイトにたどり着きました。


私は信徒ではないから拒否されるかもしれない。だけど、同じ日蓮宗だから多少は御住職も分かって下さるに違いない。何より疑問を解決すべく、今年の2月24日に初めて興福寺に足を運びました。そこで今までにおこった出来事、私が悩んでいる事、どうすれば息子がイヤなものを見なくて苦しまなくて良くなるのかということ、すべての問題を御尊師様に聞いて頂きました。すると今まで悩んでいた事の全てに糸口があり、丁寧に優しく質問に答えて頂きました。私の創価学会に対しての疑問は間違っていなかったんだと実感し、その日のうちに入信を決意し、その次の25日には創価学会からもらった御本尊を興福寺でお返しさせて頂きました。
その後、息子がいとこのお兄さんを見る事がなくなり、以前に比べてオバケを口にする事が少なくなりました。私はその姿を見てここに来る事ができる喜びと息子が生き生きとしている姿を目の当たりにできて、何より本当に良かったと思います。


最初は、家族にも日蓮正宗法華講に入信した事を言えなかったですが、今はしっかり言って折伏しています。また、縁ある創価学会員にも折伏をしていますが、そのほとんどが大聖人様の仏法の本義破邪顕正、折伏とか知りません。


また、入信して正しいお題目のありがたさを感じています。恥ずかしながらお寺に来てから初めて姿勢を正しました。学会にいた時は、朝勤行しかしておりませんでした。それも、七分ほどで、題目は早口でしたし、1時間正座をしてお題目をあげる事がありませんでした。お盆やお彼岸などの意味も知らなかったです。 毎朝、母の「勤行しなさい!」から始まり、「今日も何もありませんように」という唱題だったと思います。しかし、必ずといっていい程、悪いことが起きて、あっという間に1日が過ぎてしまい、充実していなかったですし、心が安まりませんでした。


そんな私がお寺に来て姿勢を正して祈っていくと、周りから変わり始めました。何よりも感じているのは、人間関係です。現在は営業の仕事をしているのですが、どこからでも声をかけられ、営業所でも和気あいあいと仕事ができています。上司も口ぐせが「あなたとおったらいつも天気!何かもっとる!」とまで言って下さるようになりました。今は以前がどうだったか思い出せない程、とても毎日充実しています。


私にもしこの子がいなければ、今も創価学会を離れる事はなかったと思います。何が正しいのか教えてくれたのは息子です。私はこの子を通してありがたい教えを得る事ができました。まだまだ子育て半人前で私が教育しているのか、この子が未熟な私を教育しているのか分かりませんが、私が体験した母でしか分からない辛さや迷いで苦しんでいる方にこそ、1人でも多くしってもらい、救える様に、伝えていける様に、私は日々活動してまいりたいと思います。 ご静聴ありがとうございました。