四苦を乗り越える

生きているのがつらいのは・・・

 私たちが、日々を生き抜くうえで避けて通れない苦しみとして、生老病死の四苦があります。「生苦」とは、生まれ出る苦しみを指しますが、これには生きることそれ自体に伴う苦しみも含まれます。「老苦」とは、年を重ねて老い衰えていく苦しみです。「死苦」とは、人の死そのものに付きまとう苦しみです。 これらは、すべての人に共通する悩み苦しみであり、インドの釈尊が出家した動機も、この四苦と向き合うことにありました。この誰一人として逃れることのできない4つの苦しみを前に、人はいかに生きていくのか、生きる意味とは何なのか、そのことを説いたのが仏法なのです。

-四苦を一転-
 末法の御本仏日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経の一法を確立あそばされ、四苦の根源的な解決の方途を示されています。すなわち、「御義口伝」に、「大地より出現した宝塔の、東西南北の四つの面は、それぞれ生老病死の四つの相を示している。その生老病死の四つの相をもって我々は一身の塔を飾るのである。 しかしながら、我々が生老病死の流転の中で、常に南無妙法蓮華経を唱えていくならば、この一身は妙法に荘厳された生命となり、常楽我浄の四徳の香りを吹くことになる(趣意)」と御教示のように、大聖人の仏法とは、生老病死という人生の根本的な苦悩さえも、南無妙法蓮華経の受持によって解決し、わが生命の「一身の塔を荘厳」していく教えです。
 まさしく私たちは南無妙法蓮華経と唱えていくことによって、生老病死の四苦を一転して常楽我浄の四徳へと開いていくことができるのです。
 つまり日蓮正宗の信仰を実践することによって「生苦」は、はつらつとたくましく生きることの喜びへと転換され、「老苦」や「病苦」も人生の奥行と人々への愛情を深めることにつながり、さらには「死苦」さえもが人間の尊厳を証明していく力となっていくのです。 このように、生老病死の四苦を常楽我浄の四徳へと転換させ得る偉大なる大聖人の教えに一日も早く縁をして、自身の悩み苦しみを真に解決していく人生を確立されるよう願うものです。

-四苦八苦-
 ①「生苦」②「老苦」③「病苦」④「死苦」
 ⑤「愛別離苦」(愛する人と必ず別れなくてはならない苦しみ)
 ⑥「怨憎会苦」(恨み憎む人と会わなくてはならない苦しみ)
 ⑦「求不得苦」(求めるものが得られない苦しみ)
 ⑧「五陰盛苦」(人間を形成する要素である色・受・想・行・識の五陰から生ずる心身の苦しみ)
 これらの苦しみも、南無妙法蓮華経の唱題の功力により、常楽我浄の四徳と開くことができる。

-常楽我浄-
 仏界に備わる優れた4つの性質をいう。
 常-生命の永遠
 楽-真実の安楽
 我-自在の境地
 浄-煩悩により汚れず清浄であること
 末法の衆生は、大聖人の顕された御本尊に信をもってお題目を唱えるとき、常楽我浄の四徳を命に顕し成仏の境堺を得られる